東京地方裁判所 昭和63年(ヨ)2221号 決定 1988年12月05日
債権者 イアン・マーティン・アーバックル
債務者 サッスーン(ユナイテッドキングダム)リミテッド
主文
一 債権者の申請をいずれも却下する。
二 申請費用は、債権者の負担とする。
理由
第一当事者の申立
一 申請の趣旨
1 債権者が債務者の従業員たる雇用契約上の地位を有することを仮に定める。
2 債務者は、債権者に対し、昭和六二年一〇月から本案判決確定まで毎月一五日かぎり三五万円、毎月二五日かぎり六五万円を仮に支払え。
二 申請の趣旨に対する答弁
主文第一項と同旨
第二当裁判所の判断
一 本件の事実経過
疎明によると次の事実を一応認めることができる。
1 債権者は、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(以下「英国」という。)の国籍を有し、東京都に日本国籍の妻と共にその生活の本拠を有し、債務者に雇用される以前は、東京にある日本企業に従業員として勤務していた。
2 債務者は、英国法に基づいて設立された証券取引業を目的とする法人であって、英国ロンドン市に本店を置き、日本には、後に認定する駐在員事務所を東京都に設け、銀行預金その他の若干の財産を有してはいるが、支店その他の営業所を有してはいない。
3 債務者は、一九八六年八月ころ、東京に駐在員事務所(以下「東京事務所」という。)を設ける計画を有し、その代表者となるべきものを求めていた。
東京事務所は、次のような業務を営むことを目的としていた。
(一) 東京における株式市場、日本企業等に関する情報の収集
なかんずく、各日本企業を訪問して、その企業に関する情報を収集し、当該企業を分析した報告書を作成すること
(二) 将来の東京支店開設にむけての準備作業
4 債権者は、一九八六年八月、所用でロンドン訪問中に、債務者の職員であったリーチャード・ヘイゼルウッド(以下「ヘイゼルウッド」という。)の紹介で、債務者の代表者コーリン・ジョージ・リング(以下「リング」という。)の面接を受けた。右面接の際、債権者は、リングに証券業界における経験も知識もない旨を告知していた。
リングは、右面接の結果、債権者を東京事務所の代表者として雇用することとし、同年八月二二日、ロンドンで採用通知書を債権者に交付した(この雇用契約を「本件雇用契約」という。)。なお、右面接の際に明らかにされた東京事務所代表者の職務は、
(一) 東京に事務所を開設するのに伴う諸事務、すなわち、事務所用の部屋の確保、コンピューターその他の備品の手配、大蔵省への事務所開設の届出等
(二) 証券市場及び日本企業に対する情報収集、特に各日本企業を訪問しその代表者、担当者等にインタビューをし、その結果に基づいて当該企業に関する分析報告書を作成すること
(三) その他事務所の管理に関する事務等
であり、債権者は、管理業務のみではなく、自ら右(二)のような日常業務をも積極的に行うことが求められ、そのために証券業務に関する知識を早急に身に付けるよう努力することが求められた。
本件雇用契約においては、試用期間(プロベーショナリーピリオッド)を六か月とし、給与は年一二〇〇万円で、毎月二五日に六五万円を東京にある債権者の銀行口座に、毎月一五日に三五万円を香港にある債権者の銀行口座に、それぞれ振り込む方法によって支払うこととされた(なお、この給与は、一九八七年七月から一か月一〇万円増額され、その半分が東京の銀行口座に、残りが香港の銀行口座にそれぞれ振り込む方法で支払われることとなった。)。
また、本件雇用契約には、契約の準拠法は明示的には定められなかった。
5 債権者は、日本に帰国後、同年一〇月ころ、事務所用の建物を賃借し、従業員として、証券アナリスト(アシスタント)兼管理事務を補佐する事務員(秘書)として竹内実枝子を雇い入れるなどの東京事務所開設準備をした。
なお、開設準備業務のうち、事務所に備え付けるコンピューターシステムは、英国から東京事務所の上級証券アナリストとして派遣されたヘイゼルウッドが行い、事務所設置についての大蔵省への届出等の手続は、顧問税理士の功刀豊一が行い、その他の備品の購入は、債権者の指示に基づき竹内が行い、もう一名の日本人証券アナリスト(アシスタント)は竹内の紹介により、一一月四日、債権者が採用した。
6 同年一一月ころ、東京事務所は開設された。
開設当初の東京事務所の職員は、債権者を含めて五名であり、そのうちヘイゼルウッドを除いては、証券業界の経験者はいなかった。なお、東京事務所の職員は、その後、債権者が解雇されるまでの間に、日本人事務員一名を含め三名増えた。
7 債権者は、その後、一九八七年一〇月までの間に、自らが訪問した日本の上場企業は六社程度にとどまり、そのうち一社についてのみ当該企業を分析した報告書を同年八月に作成したにすぎなかった。
なお、債権者が行った企業訪問も、その準備は竹内らが行い、債権者は、竹内らの企業訪問に同行したものにすぎず、当該企業を分析し、報告書を作成するために必要かつ適切な質問も行えなかった。
8 債権者は、他の職員より遅く出勤することが多く、また、事務所から遠い外国特派員クラブまででかけ、債務者の費用で酒類を伴う昼食をとり、事務所に戻るのが遅くなり、しかも酒気を帯びていることもしばしばあった。
もっとも、右昼食は、外国特派員協会の会長その他の債権者の知人と共にするものであることが多かったが、それは、債権者が、債務者の東京事務所の代表者となる前から行っていたもので、直接債務者の業務と関係のあるものではなく、また、債権者が証券業務について習熟するのに役立つものでもないから、債権者の個人的な交際とみなしうるものであった。少なくとも、当面証券業務に早期に習熟することを求められていた債権者が、日常業務の時間を割いて行うには適当なものではなかった。
9 債権者は、東京事務所にいる間も、新聞(一般紙)を読んだり、その妻に電話をするなどのことが多く、前8認定の行動とも併せ、債権者は、東京事務所の日本人職員から、仕事をしていないとひんしゅくを買い、債権者が解雇されるころには、日本人職員らは、債権者のもとで勤務することをきらい、債務者を退職することを考えるに至った。なお、債権者は、二か月間、毎日二、三時間を費やして、日本の上場企業の約三八〇社の概要をまとめた資料を作成したことはあるが、右資料は、単にデータバンクから得られる情報をまとめたものにすぎず、債務者において必要としていたものではないし、クイックシステム等を用いて得た情報を債務者に報告していたが、このクイックシステム等で得られる情報はロンドンにおいても得られるものであった。また、債権者が、支店設置の準備のための業務をなしたという疎明はない。
10 リングは、一九八七年二月、電話で、債権者の勤務について不満がある旨を、同年三月ころにも、東京事務所に出張したサイモン・ディー・ライトからの、債権者が調査の仕事に寄与せず、日本人職員を困惑させている等の報告に基づき、債権者と電話で、問題解決に努力するようそれぞれ告げ、更に、一九八七年四月ころ、来日し、債権者に、その勤務について不満を持っており、勤務態度を改め、企業訪問を行い、証券市場について学ぶことを求め、同年六月に債権者が休暇でロンドンに赴いた際にも、勤務全般について不満であり、これを改善するよう求めた。
11 しかし、その後も債権者の勤務ぶりは、改められることはなかった。
12 リングは、一九八七年一〇月一五日、東京事務所において債権者に対し、口頭で解雇の意思表示を行うと共に、解雇予告の代わりに債権者の三〇日分の賃金に相当する額を支払って即時解雇する旨を告げ、同月一九日、債権者に右解雇予告手当を小切手で交付した。
解雇の理由は、次のようなものであった。
(一) リングが繰り返し要求したにもかかわらず、日常的な企業訪問を行わず、東京の証券市場についての知識を向上させなかったこと
(二) 東京事務所の職員の尊敬を得られなかったこと
(三) 時間にルーズで事務所の日常業務に関心を示さなかったこと
(四) 期待されたようには事務所を管理することができなかったこと
二 本件の国際裁判管轄について
債務者は、日本の裁判所は、本件について裁判管轄権を有しない旨主張する。
右一認定のとおり、なるほど債務者は、外国に本店を有する法人であって、日本国内に営業所をも有していないが、本案となりうる賃金請求の義務履行地は日本にもあり、その争点は、解雇の効力の有無であるところ、解雇理由は、要するに債権者の東京事務所の代表者としての勤務成績が不良であるというものであるから、それについての証拠方法の多くは日本国内にあることが予想され、また、債務者の代表者が日本に来ることも稀ではないというのである。これらの事情の下では、当事者間の公平、裁判の適正、迅速を期するという理念に照らし、わが国裁判所が裁判管轄権を有すると解することが条理にかなうというべきである。そうすると、仮処分事件についてもわが国裁判所は裁判管轄権を有すると解するのが相当である。
三 本件解雇の効力
1 準拠法
債務者は、債権者と債務者との雇用契約の準拠法は、英国法である旨主張する。右雇用契約には準拠法に関し、明示の約定がないことは、前認定のとおりである。
しかし、英国法においては、継続した雇用期間が二年未満の場合には、一週間前に解雇を予告するか、一週間分の賃金相当の予告手当を支払うことによって解雇をなしうるとされており、疎明によると、リングもこのことを理解していたことが一応認められるところ、前認定のとおり、リングは、債権者に対し解雇の意思表示をなすとともに、債権者の三〇日分の賃金相当の予告手当を支払っているが、これは、リングが、三〇日前に解雇予告をなすか三〇日分の賃金相当の予告手当の支払いを必要とする日本の労働基準法に従って解雇の意思表示を行ったものと解することができる。これに、前一認定の事実中の、債権者の職種は東京事務所の代表者であって、労務提供地のみが予定されていたこと、契約の締結が英国で行われたのも、債権者が所用でのロンドン訪問中になされたものであること、以上の事実を併せ考えると、債権者及び債務者の意思は、本件雇用契約の準拠法は、日本法であったと推認するのが相当である。
したがって、法例七条一項により、本件契約の成立及び効力については、日本法によることになる。
2 解雇権濫用の有無
そこで、債権者の解雇を日本法による通常解雇としての債権者の解雇の効力を検討する。
(一) 債務者は、一九八七年二月及び六月に債権者に対し、試用期間を延長する旨告知しているから、債権者は、解雇時には、いまだ試用期間中であったから、試用期間中の留保された解約権に基づく解雇として、その効力を判断すべきであると主張する。
しかし、労働契約、就業規則等に試用期間が延長されることがある旨及び延長の事由、期間、回数等について定められているなどの事情がないかぎり、試用期間の延長は認められないと解すべきところ、右のような事情の存在については何らの疎明もない。
したがって、債権者の解雇は、試用期間中のものとは認めることができない。
(二) 次に、試用期間終了後の通常解雇としての解雇の効力、すなわち、解雇権の濫用の有無について判断する。
右一認定事実のうち、解雇理由に関するものは、要するに、債権者は債務者の東京事務所代表者として、その管理業務のほかに、日本企業に関する情報収集、特に各企業を訪問しての当該企業の担当者等にインタビューを行っての情報収集及びそれら情報に基づき各日本企業に関する報告書を作成するという東京事務所の最も重要な業務を自らも行うことが求められており、しかも、その業務を行うことによって証券業に習熟することを期待されていたにもかかわらず、これをほとんど行っておらずその他にも情報収集、調査ないしは自己の証券業に関する知識、経験を増進させるのに適切で十分な仕事をしていたとは認められず、その一方で、事務所には他の従業員よりもかなり遅く出勤したり、私的なもの(少なくとも不適切なもの)とみなしうる交際のため、債務者の費用で昼食を共にして、東京事務所を空けている時間も長く、酒の匂いをさせて事務所に戻ることもあり、しかも、債務者から、再々そのような債権者の仕事ぶりを改めるよう注意された後も変わることはなく、そのため、債権者は、東京事務所他の従業員のひんしゅくを買うに至り、債権者が解雇されたころには、東京事務所の日本人職員は、債権者の部下として働くことをきらい、債務者を退職することをすら考慮するに至っていた、というものである。
なお、債権者は、企業訪問によって得られる情報は限られたものであるから、その企業訪問には重要性がなく、また、債権者は限られた予算と人員の中で、債権者も頻繁に企業訪問をなせば事務所の他の業務に支障が生ずることになったため、証券アナリストではなく、代表者としての管理業務に重点をおいた結果、企業訪問の回数が少なくなった旨主張し、その陳述書中にも同趣旨の記載がある。
しかし、東京事務所は、前認定のとおり職員数は、五ないし八名程度の小規模な事務所であるから、事務所開設後のその固有の管理業務の業務量はさほどのものとは思われず、その趣旨の疎明もある。したがって、事務所開設後は、日本の証券市場及び企業に関する情報の収集及び分析に債権者の職務の重点はおかれていたのであり、かつ、そのための手段として債務者は企業訪問を重視するという方針をとっており、その方針は、リングから何回か告げられていたにもかかわらず、債権者は、ほしいままにその方針に従わなかったのである。なお、前認定のとおり、債権者は、長時間をかけて債務者が不要とみなす日本の上場企業の約三八〇社の概要をまとめた資料を作成しているが、このような債務者に不要とみなされる、作業をするゆとりはあったことからすると、債権者が企業訪問を行うことによって東京事務所の機能に支障が生じたとは解し難い。
債権者は、債務者の東京事務所の代表者として雇用されたものであるから、債務者の方針に従い一定水準以上の質の仕事をなすべきことを要求されていたと解されるところ、前述の事実のもとでは、東京事務所開設の後は、債権者は債務者の方針に正当な理由もないのに従わず、日常業務において要求された水準の成績を納めていたともとうてい解されないし、事務所管理の面でも、債権者自身の行動にも起因して職員管理を適切に行えなかったというべきであるから、債権者がすでに試用期間中でないとしても、債権者を解雇したことが解雇権の濫用とまでは言えない。
なるほど、債務者が、債権者が証券会社における業務の経験も、その業務に関する知識もないことを承知のうえで雇用したという事情はある。しかし、債権者は、債務者に雇用される際、右の知識を早期に習得するよう努力することを求められていたという事情があり、債権者が証券会社の業務等に習熟するための適切な努力をなしていたとも認められず、債務者は、債権者が、右努力をなしたと認められないことをも考慮して解雇をなしているのであるから、右の事情も前述の判断に影響するものではない。
四 よって、本件仮処分申請は、被保全権利の疎明がなく、疎明に代えて保証を立てさせることも相当でないから、これを却下することとし、申請費用の負担について、民事訴訟法八九条に従い、主文のとおり決定する。
(裁判官 水上敏)